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イベントレポート

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2014年7月10日(木)19:00~21:00

池上 紘子(いけがみ ひろこ) / 日本画家

世界を美術館に変えよう LIFE
-日本画の伝統と革新-

日本には人類の至宝ともいえる数々の美術品があり、極東で育まれた独自の絵画は、印象派をはじめとして世界中に影響を与えてきた。日本画の周辺には多くの東洋の思想や美意識、伝統的技術や技法、またそれらを支える伝統工芸などがあるものの、深く鑑賞されることも、創作の過程を知られることもほとんどなく終わっている。文化財保存修復を専門として、戦後に美術大学の教育から排された日本画の古典技法・水墨画を学んだ、数少ない日本画家に、日本画の概説とともに、現在までの創作活動と、今後の展望について伺った。

古墳時代からの伝統を受け継ぐ日本画の技法

日本画とは何か。「日本画」という言葉自体はよく耳にするが、一般の人でこれにきちんと答えられる人間はそう多くはいない。「実は日本画には、絶対にこれだというような規定はありません」と、講師の池上紘子氏。
「日本画とは『Japanese Painting』を英訳したもの。明治時代に東洋美術史家のアーネスト・フェノロサが欧米の絵画と比較して提言した言葉です」
広い意味では「日本の絵画全般を指す」。
「古い時代から現代まで、日本の絵画は内容も形式も時代によってかなり変遷してきました。これがないと日本画ではない、といったようなことはなく、中には斬新で強烈な画風の作品もある。そういう意味で『日本画』とはかなり曖昧なものなんです」
定義があるとすれば「画材」。日本画は鉱石から作られる天然顔料の「岩絵具」を、牛の皮を煮詰めて作った「膠(にかわ)」で接着するという技法で描かれている。こうした方法は、かつては世界中で用いられていたが、絵画技法の主流として、延々と広くつづけられているのは日本だけだ。
「日本画は、鉱石に膠という古墳時代からの技法をほぼそのまま使っている。添加物などの余計なものは一切入っていない分、絵具や素材の美しさがダイレクトに見えてくるのが特徴です」
絵具には岩絵具に使われる鉱石以外にも草木や花、虫などから取り出される染料などが使われる。鉱石は細かく砕くと薄い色となり、粗く砕くと濃い色になる。他に使う道具は硯に墨、落款印、印泥、絵皿、筆、刷毛。それに金、銀、プラチナなどの鉱物。紙ではなく、板や絵絹に描いたり、表装して掛け軸にしたりすることも多い。屏風や扇子、襖などにもよく描かれる。こんなふうにいろいろな伝統工芸と密接につながっているのが日本画でもある。最近は一部にアクリル絵具を使ったりすることもある。伝統的な技法を受け継ぐ一方で、表現は極めて自由。それが日本画だ。

壁画、宗教画、水墨画、屏風絵……時代ごとの作品を見る

セミナー前半では実際の作品を見ながら日本美術史を追ってみた。池上氏がまず見せてくれたのはチブサン古墳と竹原古墳の壁画。チブサン古墳は、あまり大陸の影響を受けていないと言われているが、どこか呪術的であったり幾何学的であったりする。一方で、竹原古墳の壁画には模様などを見ても中国大陸の影響を大きく受けていることがうかがえる。こうした大陸の影響はその後の奈良時代にも多く見られる。次に見たのは奈良時代の中でも白鳳時代の高松塚古墳の壁画と法隆寺金堂壁画。どちらもすでに現在に近い技法によって描かれている。
次の天平時代になると、シルクロードにもよく見られる技法の作品があったり、薬師寺の『吉祥天像』のように大陸から画家を招聘し、制作させたと思われる作品もあったりする。こうした大陸からの影響が薄れたのが遣唐使を廃止した平安時代。『源氏物語絵巻』や四天王寺の『扇面古写経』、写実的な『伴大納言絵詞』の応天門が炎上する図など、日本独自の国風文化ができていく。鎌倉時代に入ると、同じ宗教絵画でも「国家を挙げて祈願する」といった奈良時代の絵画と違い、「個人にお迎えが来る」といった絵が増えてくる。日本画は、当時の先端的な思想と密接に関係して発展する。ここで見たのは『那智瀧図』や『明恵上人坐像』、『阿弥陀三十五菩薩来迎図』など。そして室町時代に入るとやはり大陸からの影響で水墨画が盛んとなる。如拙の『瓢鮎図』に、能阿弥の『花鳥図』などはこの時代の作品。また中国の北宋時代の皇帝で画家でもあった徽宗の『桃鳩図』は、綿密な写生や格調の高さがその後の日本画に大きな影響を与えた作品だ。能阿弥の『花鳥図』はいわゆる屏風絵。つい立として始まった屏風絵は、この後、武家の間で贈答品とされるようになり、より華やかなものとなっていく。
安土桃山時代から江戸時代にかけて登場したのが狩野永徳の狩野派、また、それに対抗した長谷川等伯などの絵師たちだ。永徳の『唐獅子屏風』、等伯の『松林図』など、大きな作品が目立つのがこの時代だ。江戸時代初期の代表的な画家といえば俵屋宗達。長谷川等伯や狩野永徳が武士や寺院に支えられていたのに対し、江戸時代に入ると絵画は富裕な商人層によって発展していく。そのためか、どこか享楽的で楽しめる絵が多いのが江戸時代だ。『紅白梅図屏風』の尾形光琳、写生画の円山応挙、伊藤若沖、河鍋暁斎、酒井抱一、渡辺華山など、江戸中期から後期にかけてはさまざまな絵師が登場する。西洋画の影響を受けた司馬江漢の『七里ケ浜図』は、「今こういう絵を描いている人がいてもおかしくない」もの。現代の漫画や劇画に通じる絵が出てきたのも江戸時代だ。

いつか国宝となるような絵を描きたい

明治に入ると、岡倉天心が「日本風の絵」を研究し始める。横山大観が活躍し、日本画は西洋画に負けない存在感を発揮する。京都画壇の中心である竹内栖鳳が活躍したのは明治から昭和にかけて。大正時代は世相を反映してか、全体に明るい作風が多いが、その後に訪れる戦争の時代では画家たちは戦争絵画を描くこともあった。
戦後の大きな出来事は法隆寺金堂壁画の模写事業。この事業が行なわれている間に起きた火災によって金堂が焼失し、これが文化財保護法が制定されるきっかけとなる。戦後の画壇の大きな動きとして池上氏も出品している創画会が発足したのは1948年。日本画の中でも前衛的と言われる同会は、院展、日展と並び日本画の画壇を形成している。
後半では日本画家としての池上氏の活動を紹介。画家というと「子どもの頃から絵を描いていた」というイメージだが、池上氏の場合は少し違う。日本画家を志したのは高校時代、たまたま図書館で菱田春草の『白牡丹』という作品を見て「自分もこの絵を描きたい」と思ったのが始まりだったという。大学時代は保存修復学科に所属し、「文化財漬けの毎日」。卒業制作の作品は仁和寺に奉納。大覚寺に勤務しながら作品を制作し、その後上京。現在は日本画教室を開催、画廊の運営などをしながら、伝統工芸とのコラボレーションや、「世界中の人の人生や生活、生命に寄りそう日本画」を制作する『LIFE』の活動にも取り組んでいる。日本画家としての「夢」は「いつか国宝になるような絵を描くこと」と、「世界を美術館に変えたい。日本画の世界をもっと広げていくこと」だ。
「絵画というのは必然性がないと発展しない。床の間に掛け軸、だけではなく、今の生活空間に合う日本画を描いていきたいです」

講師紹介

池上 紘子(いけがみ ひろこ)
池上 紘子(いけがみ ひろこ)
日本画家
1980年生まれ。京都嵯峨芸術大学古画研究工房修了。嵯峨美術短期大学卒業制作「『出光美術館所蔵 国宝 伴大納言絵巻』模写」で教育後援会奨励賞を受賞。京都嵯峨芸術大学専攻科終了制作「『仁和寺所蔵 国宝 孔雀明王像』模写」では大覚寺賞を受賞し、後に総本山仁和寺へ奉納する。その後、「『薬師寺所蔵 国宝 吉祥天』模写」を大本山薬師寺へ奉納。現在は江東区伝統工芸会にて、ARTと伝統工芸のコラボレーションを実現する研究会と展示をおこなう傍ら、芸術振興活動の一環として、東京日本画教室を主宰。 海外活動として、イタリア・アートフェア『アート・オー』、中国・上海アートフェア、アメリカ・サンタモニカ ジェームスグレイギャラリー『japanART』に出品。主なアート作品に、『たゆたう』シリーズ、創画展出品『追憶の風』、日常の美シリーズ『日本画扇子』、『LIFE』などがある。一般社団法人日本美術家連盟会員。一般社団法人日本画院審査員、理事。江東区伝統工芸会会員。

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