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イベントレポート

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2015年3月29日(日)13:30~15:30

原 京(はら けい) / 修禅寺門前 甘味亭「一石庵」オーナー

修善寺温泉の魅力と歴史
~日本の唱歌・童謡を歌いながら~

夏目漱石や芥川龍之介など、多くの文豪に愛され、数々の文学作品の舞台にもなっている修善寺温泉。伊豆半島で最も歴史が古く、日本百名湯の一つでもある。"湯の国"日本でも有数の保養地、修善寺温泉の魅力と歴史について、修禅寺門前で甘味亭「一石庵」を構える原(はら)氏にお話しいただいた。
原氏夫妻はジャズピアニストの志村孝雄氏とともに、月1回修禅寺で「うたごえの会」を開催し、地域活性に尽力している。本セミナーでも志村氏をゲストに迎え、原氏による講話の合間に参加者とともに日本の唱歌や童謡を歌いながら、終始和やかに進んでいった。

修善寺温泉の歴史と修禅寺のお祭り

修禅寺(地名としては「修善寺」だがお寺としては「修禅寺」)は、807年弘法大師空海が開創したと言われている。弘法大師の高野山開創は816年なので、それより9年も前に修禅寺を開いたことになる。
修禅寺の宗派は、弘法大師開基の真言宗から、鎌倉時代に中国から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師が入山して臨済宗へ改宗。そして、1489年(室町時代)には、韮山城主北条早雲が隆渓繁紹(りゅうけいはんじょう)禅師を招き、曹洞宗へ改宗している。「今では修禅寺は曹洞宗のお寺だけど、地元の人は弘法大師への親しみを込め、未だに修禅寺のことを『弘法さん』と呼んでいます」と原氏は語る。

源頼朝の異母弟・源範頼も修禅寺にゆかりがあると伝えられる。範頼は義経とともに平氏滅亡に大きく貢献した武士。頼朝と不仲であった義経に対し、忠義の厚さでも知られている。しかし、後に誤報であったと分かる「頼朝の危機」との知らせに、頼朝の妻・北條政子を「後にはそれがしが控えておりまする」と慰めたことで謀反の疑いをかけられ、修禅寺へ幽閉。結局、誤解を解くことができず、不遇にも誅殺される。また、範頼の甥にあたる頼朝の嫡男・頼家も同じく修禅寺に幽閉されたのち23歳で暗殺された。修善寺を訪れた正岡子規は、二人の死を悼み「此の里に悲しきものの二つあり範頼の墓と頼家の墓と」と詠んでいる。

4月20日・21日には、春季弘法忌(地元では「春のお弘法さん」と呼ばれる)が行なわれ、御輿の渡御を行なう。修禅寺本堂に安置されている神輿を担ぎ、川の4.6kmほど上流にある奥之院まで「お上り」し、一泊して「お下り」するというものだ。これには、神霊の宿った神体や依り代を神輿に移し練り歩くことで人々の安寧を祈念するという意味がある。4月21日には、修善寺で温泉を発見し湯治を広めたとされる弘法大師への感謝祭「湯汲み式」も行なわれる。大師が独鈷杵(とっこしょ)で湧出させたという「独鈷(とっこ)の湯」を中心に、賑やかなお祭りになるという。
また、8月20日・21日には、秋季弘法忌(秋のお弘法さん)が開かれ、21日には弘法大師奉納花火大会も催される。作家・井上靖も作品『幼き日のこと』で、この様子を“バザール”と表現するなどたいへん賑わいを見せるとか。また、夏目漱石も明治43年の当日の様子を「温泉(ゆ)の村に弘法様の花火かな」と俳句に残している。

修善寺温泉にまつわる文学作品

夏目漱石や芥川龍之介など、多くの文豪たちが作品の中で修善寺を取り上げている。
川端康成の作品にも修善寺は登場する。「でも、川端康成は独鈷の湯のことをあまりよく書いてくれなかったんです」と原氏は残念そうに語る。
吉田絃二郎は佐賀出身だが、多数の作品の中に修善寺が幾度も登場する。修善寺をこよなく愛し、長逗留することも多かったという。ほか、高浜虚子も修善寺の地を好み、よく句会を開いたとされるし、司馬遼太郎も『箱根の坂』で修善寺を舞台にしたエピソードを書いている。
そして、芸能作品として修善寺を有名にしたのが岡本綺堂の戯曲『修善寺物語』。面作師夜叉王と、修善寺に幽閉された源頼朝の息子・鎌倉二代将軍源頼家の悲しい最期を題材にした作品だ。歌舞伎作品としては珍しく各国で翻訳され、特にフランスでは芸術至上主義と評されて人気を集めた。
夏目漱石は、朝日新聞社入社前後からのたった10年間で数多くの名作品を残している。しかしその内実は、職業作家として初作品を発表した3年後には胃潰瘍を患い入院するなど、順風満帆とは言えなかった。門下の松根東洋城の勧めで転地療養のため滞在していた修善寺「菊屋旅館」にて、明治43年8月24日、大吐血を起こし、生死をさまようことになる。これが「修善寺の大患」と呼ばれる事件である。
一時的な死を体験したこと、多くの人が自分を助けようと手助けしてくれたことが漱石のその後の文学作品に大きな影響を与え、のちに「則天去私(そくてんきょし、小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きること)」の境地に達したと言われる。
漱石が滞在していた菊屋旅館はすでに取り壊されているが、「伊豆修善寺 虹の郷(にじのさと)」に移築し、「夏目漱石記念館」として残されている。漱石が修善寺に残した75句の俳句を「修善寺の財産」と原氏は語る。現在、修善寺に漱石の句碑を建てることを計画中だという。
実は原氏自身も、サラリーマン時代に大病を患い、46歳の時に生死をさまよった経験がある。「入れ替わり立ち替わり多くの人が自分のもとを訪れ、生かそうとされていることを感じました。漱石と同じ心境を味わい、人生観が大きく変わりました」。そうして仕事を辞め、修善寺で甘味亭「一石庵」を開き、修善寺の語り部として日々を送る。

修善寺の楽しみ方

2004年、修善寺町は、土肥町、天城湯ヶ島町、中伊豆町と合併し「伊豆市」の一部になった。「近隣に伊豆の国市もあり、よく混同されるが修善寺は伊豆市にあります。そして、伊豆市と静岡市は駿河湾を隔てて隣町にあたります。静岡から修善寺へお越しの際は、行きでも帰りでもいいので、ぜひ清水港から土肥行きのフェリーをご利用ください。海から眺める富士山は格別ですよ」と原氏は話す。
以前は桂川が中心に流れる修善寺は、道路事情も芳しくなく、交通渋滞が難点だった。しかし、近年、駐車場の位置を検討し、一方通行にすることで安全で歩きやすい街へと変わった。
「修善寺は驚くほどTVや映画のロケに使われます。有名人を見かけることは日常茶飯事。アポなしも多いですが、メディアが取り上げてくれることはたいへんありがたく思っています。街の活性化につながりますから」と原氏は話す。修善寺は、東京からの程よい距離で番組制作費用が抑えられるという。また訪れるたびに変化している街なので、取材もしやすいのだとか。
弘法大師が独鈷で川の岩を打ち、霊湯を湧き出させたとされる「独鈷の湯」、もともとは旅館の庭で平成になってから知られるようになった「竹林の小径」、そして桂川にかかる朱色の橋「楓橋」。修善寺は京からの流れ人や中国からの僧侶も多くやってきた土地だから、「嵐山」「渡月橋」といった京都を思い起こす名や、「虎渓橋」といった中国をイメージさせる名がつけられた場所もある。
「お店に来るお客さんに、時々『ご主人、ここはよく殺人事件で刑事さんが聞き込みにくるでしょ』と言われることも。もちろんドラマの中での話ですけれど、一度、お店がお休みの日にそういったロケがあったようで『今日はここ休みだから聞き込みにいけない』といったセリフが…。それを観た時はもったいないことしたなぁって思いました」と原氏は笑う。
2020年に開催される東京五輪の自転車競技では修善寺が候補地のひとつともされている。「今、修善寺は、東京五輪に向けても盛り上がってきていますよ」。
修善寺の旅館は手の届かない高嶺の花というイメージがあるが、そうでもないところも多いそうだ。「修善寺はそんなに広くないので、2時間くらいで回れます。でも間にいろいろ寄り道する。たとえば茶店に立ち寄るのもまた楽しみの一つですよ」と原氏は語る。修禅寺で朝のお勤めや掃除を行ない“プチ修行”を体験することもできるのだとか。また、レンタサイクルで電動アシスト自転車の貸し出しも可能。ぜひ一泊して、修善寺の朝の気持ち良い時間を堪能してほしいと原氏は締めくくった。


今回、セミナーで取り上げた曲

・「A列車で行こう」…オープニングにて、志村氏の演奏披露。
・「鉄道唱歌」「僕は特急の機関士で」…鉄道つながりで2曲、参加者と歌う。
・「父ちゃんバンザイ!~全亭連の唄~」…原氏が歌声を披露。お店を開く前はサラリーマンだった原氏。歌詞の内容に共感する部分が多いそう。
・「赤い靴」…静岡に縁がある1曲。静岡市清水区出身の母の娘“きみ”が、宣教師に連れられていったが、結核になって亡くなるという実話に基づくと言われている。
・「朧月夜」「花」…春の唄を2曲。
・「広い河の岸辺」…観客からのリクエスト。スコットランド民謡だが、NHK連続テレビ小説「花子とアン」「マッサン」の両方で使われ、今、ひそかに話題になりつつある曲。人を力づける歌詞が魅力で、被災地をはじめ、多くの場所で歌われてきている。
・「青い山脈」…会場の観客の世代に合わせ、青春時代の1曲を。
・「ふじの山」…修禅寺の「うたごえの会」では体をほぐす動作を加えて歌う唄。
・「背くらべ」…作詞の海野厚氏は静岡市出身。
・「瀬戸の花嫁」「茶摘」「上を向いて歩こう」「故郷」…会場の観客の世代に合わせ、広く知られた曲を終了時間まで歌う。

講師紹介

原 京(はら けい)
原 京(はら けい)
修禅寺門前 甘味亭「一石庵」オーナー
修善寺町(現伊豆市)出身。修禅寺門前、赤い欄干の橋のたもとにある甘味亭「一石庵」のオーナー。本業の傍ら、修善寺温泉の歴史や魅力を伝える語り部として精力的に活動中。

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