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イベントレポート

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2017年6月24日(土) 13:30~15:00

森谷 明子(もりや あきこ) / 日本画家

「いのちの不思議とあたたかさ」~おおつち保育園 3・11~

2011年3月11日の東日本大震災により発生した津波。岩手県大槌(おおつち)町は、田畑がどこまでも続く美しい風景が広がる町だったが、およそ半分が壊滅的な状態に。
今回は、絵本『あの日~おおつち保育園3.11~』の作者・森谷明子氏をお招きし、絵本の原画展とともに講演会が開催された。
被災者ではなかった森谷氏が、絵本『あの日』を制作するに至った秘話や、本では伝えきれなかった大槌町の現実が語られ、震災やいのちの大切さについて改めて考える機会になった。

津波により友だちを失った子どもたち。彼らが導き出した答えとは

絵本『あの日』は、園児9人がいのちを落とした「おおつち保育園」の震災時の様子を描いたもの。最初に絵本の朗読が行なわれた。森谷氏の絵は優しくてやわらかいタッチだが、町を襲った黒い海、園長先生の葛藤、子どもたちの泣き顔、そして笑顔…。どの絵からも強いメッセージがあふれている。参加者の胸のうちにも、きっとさまざまな思いがよぎったことだろう。

物語は東日本大震災が発生したところから始まる。地震直後、おおつち保育園のみんなは指定の避難場所へ向かい、迎えにきた一部の保護者に園児を引き渡すが、津波が迫ってきていることに気づく。先生は残された子どもたちを背負い、急斜面を四つん這いになってよじ登り山に逃げた。40人の子どもたちは、全員無事。しかし、保護者へ引き渡した園児たちのうち9名は、保護者の車とともに黒い海に飲み込まれた。「あの時、引き渡さなければ…。」園長先生は自責の念に苦しめられる。

しばらくして、仮設の園舎で保育園を再開したが、あの日のことは、誰もが思い出さないように、口に出さないようにしていた。震災から半年経ったある日、11人から7人になった年長のゆず組の1人が「おうたの上手だったみくちゃんに会いたい。」と言い出した。この言葉を機に、その場にいたみんなが「お友だちに会いたい」「こわかった」と言い出し、せきを切ったように泣き始める。「園長先生が帰さなければよかったのに!」と、園長先生の胸ぐらを掴み、訴える園児も…。園長先生も、その場にいた先生も泣いた。でも彼らの中には、まだ6歳だったが、「いのち」の向き合い方や、どうやって生きていけばいいかの答えがあった。

「オレたちが ないてたら てんごくのおともだちも なくんだよ。オレたちが わらってると てんごくのおともだちも わらうんだよ。」(絵本『あの日』より)

その日を境に、ゆず組の心は11人に戻る。

そこで、一つの奇跡が起こる。土砂に埋もれていた園舎からゆず組11人全員の笑顔の写真が見つかったのだ。コルクボードに飾り、11人全員でお遊戯会をして、一緒にお別れ会をして、みんな揃って卒園した。
津波から2年後、同じ場所に園舎が完成した。小学生になった当時のゆず組全員が集まり、またみんなで笑って、そして、泣いた。 園長先生は思った。「いっぱい泣いて、思い出して、口に出した方がいい。怖かったこと、つらかったこと。天国のお友だちも、みんなが泣けば、同じように泣くし、笑えば、同じように笑う。そして、あの日のことを思い出し、またここで子どもたちを育てていこう。『大槌に生まれてよかった』そう思ってくれる強くて優しい子どもたちを。」

後ろ向きだった絵本制作。いくつもの「奇跡」と出会い、実現へと歩を進める

森谷氏は、震災直後におおつち保育園を支援している静岡県ボランティア協会や、静岡市内の小学校幼稚園教諭で構成される静岡うみねこの会と出会い、この出来事を知る。そして「子どもたちが自ら導き出した生きる力について、絵本として残しておくべきでは」という意見から、絵本制作の話が進むこととなった。

「実現まで、本当に大変でした。本を出すことで、遺族の方々がどのように思われるか…。けれど、いくつかの“奇跡”が重なり、出版に至ったのです。」

出版に後ろ向きな森谷氏の背中を押してくれたのは、静岡県ボランティア協会のスタッフだった。「これは、遺族の方がつらい体験を思い出すための本ではなく、それ以外の人々に伝えていくための本です。」この言葉が、心を少し軽くしてくれた。また、先に助成金の申請を出し、受給の決定を取り付ける。受給が決まったことが、最初の「奇跡」だった。

助成金が支給されるのなら、と現地へ取材に行くことにした。しかし、気持ちは重いままである。
大槌町に降り立つと、津波で建物が流され、草が生えるだけの荒地が広がる世界に脚がふるえた。そして、おおつち保育園を訪(おとな)う。「海は遠いし、このように小高いところならば、津波は大丈夫。」と、誰もが思うようなところだった。

森谷氏のふるえは止まらない。「早く静岡に帰りたい。」記録用にとカメラに収めていたが、あまりの惨状に、写真をカメラに留めておくのでさえ怖くなり、駅でデータをすべて消してしまう。現実は、テレビで観る以上に残酷だった。

駅で二つ目の「奇跡」に出会う。
駅にある蕎麦屋で食事をするが、蕎麦がなかなか出てこず、3時間に1本しかない電車に乗り遅れてしまう。
その時、誰かに頭をコツンと叩かれたような、不思議な感覚に遭遇し、絵本制作にあたり関わってくれたたくさんの人々のことが思い起こされた。
「この時、自分が情けなく感じたんです。このままでは駄目だ。そう思い、取材したメモを読み返しているうちに、絵本のページ割やセリフが頭にすっと降りてきたんです。これは、絶対に形にしなければならない。今まで絵描きとして活動してきましたが、これは初めての体験でした。」

困難に遭遇したときは、泣いて、声に出して、思いを爆発させることが必要

絵本を制作するにあたり、園長先生から「“死んだ”“亡くなった”という言葉を使わないでほしい。子どもたちは、死んだのではなく、『天使になって、向こうの世界で生きている』」と言われていた。しかし、表現上、どうしても使わざるを得ない部分もある。何度もやりとりを重ね、ようやく内容に対して園長先生から許可が下りた。だが、すでに締切が迫っており、1か月で絵を描かなければならない状態。通常では、考えられないスケジュールだ。

森谷氏は、願をかけた。土砂の中から出てきた、11人の園児たちの笑顔の写真。このページができたら、きっと全部描ける。そんな想いで、最初に11人の笑顔の写真のページに手をつけ、「200%の出来」と自称するほど、満足のいく仕上がりに。その後の筆は順調で、無事1か月で描き上げた。これもまた、「天使」たちが起こしてくれた「奇跡」だった。

2014年、完成した絵本は園からの希望で静岡県ボランティア協会から発行された。書店にはほとんど置かなかったが、静岡県内を中心に口コミで広がり、2年で6,000部を完売。県外の団体から、大口注文が入るなどして、再販に至る。

「奇跡」は、これだけではなかった。
絵本の完成から2年経った3月、園長先生は大槌の町かどで、あの時、先生の胸ぐらをつかんで「帰さなければよかったのに」と泣いた、ゆず組の男の子に偶然出会う。園長先生が絵本のことを打ち明けると、彼はその本を読みたいと言う。実は、園長先生はそれまで、完成した絵本をまだ開くことができずにいたという。
初めて絵本の入った段ボールを開き、絵本を携えて彼の家を訪ねる。本を読み終えた彼は「どうしてこんないい本ができたことを教えてくれなかったの?」と言ったそうだ。彼の机の上には天使になった4人の写真が飾られており、当時のこととしっかり向き合っていた。それを知った園長先生は「私こそ、あの日のことと向き合っていなかったんだ」と気づいたという。
森谷氏が園長先生から感謝の言葉をもらったのは、その「奇跡」があった後だ。

天国で笑っている子どもたちが導いてくれた、いくつかの「奇跡」。今回、Lichtpuntje静岡で講演会を開き、参加者に出会えたのも「奇跡」の一つと、森谷氏は話す。

講演会の終わりに、子どもたちの様子を伺いに現地を訪れた教員男性や、ボランティアで被災地を訪問した女性が、現場の様子を涙ながらに語ってくれた。
小さな子どもをもつ女性参加者は「子どもにも力が備わっていることを知った。今日知った情報は、子どもにきちんと伝えていきたい。」と話した。

絵本『あの日~おおつち保育園3.11~』は、静岡県ボランティア協会や静岡うみねこの会のほか、森谷氏が興した個人事業の本屋「牧羊舎」でも取り扱っている。牧羊舎のホームページから注文することも可能だ。

「泣いてもいいんだよ。つらいことは、口に出してもいいんだよ。そしてまた笑顔になろう。」
森谷氏は、この講演中、何度もそう言った。

絵本『あの日』から得るのは、防災面からの教訓だけではない。人は、大切な何かをなくした時、貝のように押し黙らずに声に出して、泣いて、気持ちを爆発させることで、事実を受け入れる力が備わっているということ。誰もが直面する困難を乗り越えていく、万人に共通した生きる手段だ。
誰かの役に立ちたいと願う「横の絆」への強い想いと、誰かに導かれ守られていると信じる「縦の絆」への強い想い。
縦と横ふたつの絆の交わるところに「奇跡」とは起きるのだと実感したと森谷氏は言う。
人の心は忘れやすく、儚(はかな)い。今回の講演をとおして得た情報が、ぜひ多くの人へ「奇跡」のように広がっていくことを願うばかりだ。文・河田 良子

講師紹介

森谷 明子(もりや あきこ)
森谷 明子(もりや あきこ)
日本画家
筑波大学大学院芸術研究科美術専攻日本画分野修了。在学中に春季創画展入選、富嶽文化賞展準大賞受賞。現在無所属。渦巻きをテーマにした屏風制作を続ける一方で神社・寺院への奉納作品にも力を注ぐ。2015年静岡浅間神社に四曲一双屏風『神富士と山桜』を奉納。絵本に「おかあさんはね、」(ポプラ社)、「サクラの絵本」(農文協)などがある。

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