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2014 Aug.20
DREAM MAKER
あの人に訊く、この話 Vol.5

日本チームでツール出場を目指す
フランス仕込みの自転車Samurai
浅田顕の海外サイクリング指南

『DREAM MAKER』は、「change」、「think」、「play」それぞれのテーマのもとに、いま気になる人にインタビュー。仕事で、プライベートで、その人が創り出してきたものや、出来上がるまでのストーリー、そしてちょっとディープな話題にも触れていきます。

「play」をテーマにお話をうかがったのは、自転車ロードバイクチーム「エキップアサダ」の代表兼監督である浅田顕さん。浅田さんと言えば、2006年に「日本人チームでツール・ド・フランス出場を目指す」とセンセーショナルな発表をし、いまもその目標に向かってまい進する「熱き心」の持ち主です。
ひと言で「ツールに出たい」と言っても、東の果てで騒いでいただけでは出場できません。まずはフランスでチームが認められること。そのために、フランス南西部の都市・トゥールーズに拠点を置いて地元のレースを走り、フランス人に愛される日本人チーム作りに情熱を注ぐ浅田さん。その姿は、まさにフランス仕込みの自転車Samurai。
そんな浅田さんだからこそ知る、欧州のおすすめサイクリングコースがあるはず。浅田さんというと「レース」というイメージですが、「いつか海外を走ってみたい」と思っている一般サイクリストのために、おすすめのサイクリングエリアのほか、走行時、輪行時の注意点も教えていただきました。もちろん、浅田さんのベースにある自転車人生についても探っていきます。

日本チームでツール出場を目指す フランス仕込みの自転車Samurai 浅田顕の海外サイクリング指南

偶然か必然か?自転車少年が競技者に

昭和42年生まれの浅田顕さんが、少年の頃愛したスポーツと言えば、ご多分に漏れず「野球」。自転車は好きだったものの、遊びの中で乗る程度だったと言います。しかし、入学した中学校は、ちょっとした問題があって野球部が休部中。仕方なく自転車に乗った浅田少年は、次第に走行距離を伸ばしていきます。こうなると、いい自転車が欲しくなるもの。

「親に一筆書いてもらい、学校から許可をもらって新聞配達のアルバイトを始めました。自転車にも乗れますしね。でも、このままスポーツをしないのは良くないと思い始めた中学3年の夏に、ツール・ド・フランスをテレビで見たんです。ちょうど、ベルナール・イノーやローラン・フィニョンが活躍していた時代で。もう、『スゴイ!』のひと言でした。まぁ、上りは僕のほうが速いんじゃないかと思いましたが(笑)、時には時速100kmも出る下りがとにかくスゴイ。人間離れした過酷さが、そこにはありました。これで、自転車をスポーツとして認識したんです」

そのとき気がついたのは、「そう言えば学校にロードバイクで来ている理科の先生がいたな」ということ。そこで、どうすればスポーツとして自転車に乗れるのかを聞こうと、その先生に近づく浅田少年。しかし、緊張のあまりとんでもない言葉が口をつきます。

「弟子にしてください」

実はこのひと言が命取りになりました。高校へ進学する前の春休みの3週間、毎日走行距離100kmを超えるトレーニングに駆り出されます。それもそのはず、その理科の先生は大塚和平さんと言って、『100歳まで走る』の著者で、現在65歳にして現役ライダー、勝利数340を超えるアマチュア界のレジェンド、その人だったのです。

「毎日クタクタでした。でもその甲斐あって、高校では自転車競技部に入ることになりました。ただ、すぐに辞めましたけど(笑)。何か違うと思ったんです。それより、大塚先生と走るほうが楽しかった」

高校1年の終わりには、本格的に選手として走るため、「競技者登録をしたい」と大塚先生に申し出ますが、「もう1年、ホビーレーサーとして走りなさい」という師のアドバイス。

「でも、3月末に伊豆のサイクルスポーツセンターで開催されるチャレンジロードで優勝したら、登録していいという条件を出され、頑張って優勝したんです。登録をすれば、レベルの高いレースに出ることができます。そして、東日本実業団レースでも5位という成績を挙げました。また、やはりインターハイでも成績を出したくて、もう一度自転車競技部に入り直しました」

しかし、顧問がインターハイの引率をすることができず、生徒のみでは参加できないという規定のために出場資格を失います。

自転車界の、いや日本のスポーツ界の常識でいけば、高校で部活に入り、インターハイや国体で好成績を収め、プロや実業団入りを果たすのが王道ですが、それを逸脱した浅田青年が、高校卒業後に名門のブリヂストンサイクルに加入できたのはなぜなのでしょうか。

「夏休みに、自宅から40kmあるブリヂストンサイクルの本社まで自転車で行き、門の前で待ち伏せをして練習について行ってたんです。そこで走りの実力を認めてもらって、『じゃあ、入社試験を受けてみろ』ということになり…。まぁ、バブル時期だったので形式的なものだったんだと思うんですけど、入社することができました」

中学で野球部がなかったこと、大塚先生がいたこと、インターハイに行けなかったこと、それらすべてが浅田さんを競技者の道に導きました。それは偶然か、はたまた必然か……。

しかし、そこまでして得たエリートの環境を、浅田さんは3年で捨ててしまいます。

浅田さんインタビューの様子

夢を諦めない。日本人チームでツール・ド・フランスへ

18歳で実業団選手となった浅田さんは、その3年後、単身フランスへ渡ります。

「『心のスランプ』とでも言いましょうか。『何か違う。先が見えない』と感じるようになりました。もともと、25、26歳で引退して、普通に会社員になるのがまっとうな人生だと思っていました。でもその前に、一度は本場のレースを体験したかった」

フランス語を猛勉強し、フランス西部の都市・レンヌにある「ルイゾン・ボベ・センター」という育成施設に入所。サイクルロードレース界の本場に身を置いた浅田さんは、休職していたブリヂストンサイクルを退社します。ほどなくして、日本初の本格的なプロサイクリングチーム「ジャパン・プロロード・プロジェクト」、いわゆる「JPP」が発足するのです。

「JPPは当時の日本のトップ選手が所属するドリームチームでした。渡仏して、向こうで選手をやるつもりでしたが、JPPの『日本人チームで海外を走る』というコンセプトに共感して、加入のオファーを受けました」

JPPは今でも自転車界で語り継がれるほどの巨大なプロジェクトでした。メンバーはもちろん、競技連盟からは潤沢な予算がつき、当時としてはプロと呼ぶにふさわしい待遇が用意されていました。しかし、1990年に栃木・宇都宮で開催された世界選手権が終わると、その活動が縮小していきます。それもそのはず。JPPは「日本で世界選手権が開催されるのに、プロチームが1つもないのは恥ずかしい」という理由で発足したのが正直なところ。その世界選手権が終われば、お役御免と相成るわけで。そもそも、世界選手権が日本で開催できたこと自体が、むしろあり得ないことだったのです。

「JPPの解散を待たずして、再び渡仏して、プロチームに入りました。充実はしていましたが、選手としての節目と思っていた25歳になって先が見えてきた頃、選手指導のほうに興味が沸いてきました」

そこで選手をしながらも、神奈川県厚木市に「リマサンズ」というチームを立ち上げます。それが1993年。1994年にはパリ~ツールを完走し、全日本チャンピオンにも輝くなど実力はあったのですが、1996年に引退し、古巣のブリヂストンサイクルのチーム監督として、指導者の道を歩き始めます。しかし、これまでの浅田さんの軌跡を見てもおわかりのように、ここでも浅田さんのチャレンジャー精神がムクムクと沸き始めます。

「勝ちを重ね、チームは順調でした。しかし、目標もないまま迎えた1998年の全日本選手権でボロ負けをするんです。しかも、20位以内にひとりも入れない状態でした。このままではダメなんだと気がついたとき、『日本人チームでツール・ド・フランスへ出よう』という目標をみずから掲げたんです。それで企画書を作ったのですが、誰ひとりとして受け入れてもらえませんでした。今でこそ、新城(幸也)や別府(史之)がツール出場を果たしていますが、当時は、それさえ不可能と思われていましたからね。でもどこかで、『日本人でもできるはず』という、自信があったんです」

浅田さんは、ブリヂストンのチームを国内だけでなく、海外レースでも走れるよう尽力し、同時に「日本人チームで」ツール出場を果たすべく、模索を続けました。そして2006年、「5年後にツール出場」を目標に掲げたプロチーム「バン・サイクリング」を立ち上げます。

「選手がもう、世界で走りたくて仕方ないという状態だったんです。ブリヂストンでは予算が限られており、あれ以上海外でのレース活動は難しかった。だから、ブリヂストンの90%の選手を引き連れて、企業から独立したプロチームを結成しました」

結局、資金面の問題で2009年にチームは解散しましたが、当時チームに所属していた新城幸也は、今年、5度目のツール・ド・フランス出場を果たしましたし、そのほかの選手も国内外で活躍をしています。また現在は、U23の若手選手を育成して海外チームへ送り込み、いざ「日本人チームでツールへ」となったときは戻ってきてくれるよう、「エキップアサダ」という母体チームは継続中です。

なんというエキサイティングな人生。浅田さんの著書のタイトルも言っています。『人生の目標を決めたら諦めない』。

浅田さんインタビューの様子

自転車はいくつになっても乗れる生涯スポーツ

浅田さんの恩師・大塚和平さんというお手本があるように、「自転車は、死ぬ直前まで乗れる」と浅田さんは言います。

「自転車は、日本で一番盛んな生涯スポーツになる可能性があります。ジョギングもいいのですが、膝を痛める危険性もありますよね。ヨーロッパでは、歩くのもままならない人でも自転車には乗っているんですよ。まぁ、日本は坂が多い点がネックなのですが、自転車愛好家の人口世界一になるんじゃないかと思っています」

日本でも多くの自治体が自転車に注目し、シティコミューターとしてのレンタサイクルを準備したり、サイクリングルートの設定で観光客を取り込もうとしたり、さまざまな動きが起こっています。

自転車愛好家人口と言えば、これまで自転車競技の面では後進国だった国が、ドラスティックな変化を遂げています。たとえばイギリス。2007年もツール・ド・フランスのスタート地点となりましたが、当時は観客もまばら。サッカーとクリケットの国ですから、自転車にはあまり関心がなかったようです。しかし、ロンドンオリンピックを経て、今年。再びツールのスタート地点として選ばれたイギリスは、熱狂的な自転車の国となっていました。

「101年の歴史を持つツール史上最高と言われるほど、沿道を観客が埋め尽くしました。2007年以降、サイクリングロードを整備し、ツールで勝てるチームを育てていきました。普及と選手強化を1つのプロジェクトとして進めていったんですね。政府も支援していましたから、予算の規模が違います。イギリス自転車競技連盟についた予算は年間30~40億円。フランスの連盟でさえ3億円、日本は1億円です」

お金の話になると難しい面も出てきますが、日本も捨てたものではありません。たとえばスルガ銀行でも自転車乗りのためのサイクルステーションを静岡県御殿場市と神奈川県湯河原町に設けていますし、浅田さんの日本での拠点である埼玉県東松山市の「シクロパビリオン」もそのひとつです。

「シクロパビリオンでは休憩はもちろん、消耗品を購入したり、シャワーを浴びたりすることもできます。私たちが主催するイベントや練習会などもあります。海外ではこういう施設をあまり見たことがありませんね。フランスで『日本でこんなことをやっているんだ』と言うと、『俺もこういうのをやろうと思ってたんだよ!』と言われることがあるので、今後、出てくるかもしれませんけどね」

また、スルガ銀行にロードバイク購入ローンがあることが象徴しているように、日本では高級ロードバイクを購入する人が多いのですが、海外では古いロードバイクを大切に乗っている人も多いと言います。

「日本人はかたちから入る人が多いですからね。でもそれが悪いわけではありません。実はフランス人も最近、高級自転車に乗る若い人が増えているんですよ。いつもお世話になっているレンタカー屋さんのスタッフも、『自転車買ったんだ!見てくれ!』ってLOOKの高級グレードの自転車を持ってくるんですよ。ほかのお客さんが待っているのに(笑)。また、海外の人は、日課として自転車に乗っていたり、たとえば『ご飯をいっぱい食べたから自転車に乗ろう』とか、何か目的を持って乗っていますね。まぁ、家のガレージを出たら、すぐに走りやすいところがあるというアドバンテージがありますけど」

そんなアドバンテージがある海外って、どんな素敵なところなのでしょうか?

浅田さんインタビューの様子

どこを走ってもオススメな欧州サイクリング

選手としても監督としても、ヨーロッパのあちこちを走ってきた浅田さんですが、みなさんにおすすめしたいサイクリングコースはどこでしょうか?

「正直言って、どこを走ってもいいです。うーん、ひとつ挙げるとなると難しい……。ベルギーのブルージュなんかいいですね。水の都と言われ、観光地としても有名ですが、比較的短めの距離であちこち行けます。フラットですしね。レンタサイクルもたくさんありますよ」

ブルージュは自転車専用レーンが整備されていませんが、運河が多く、その運河沿いを走るのもおすすめだそうです。また自転車専用レーンと言えば、オランダ。生活の足としても自転車を活用しているので、自転車専用レーンの整備が徹底されています。ただし、小型オートバイも同じレーンを走れるので注意が必要とか。あと、自転車専用レーンがあるのに車道を走っていると、注意されることがあるとも聞きます。

「フランスですと…、本当に全部いいですね。アルプスは景色がいいですし。でも、年間走れる場所となると、ピレネー山脈がおすすめです。もちろん真冬は無理ですが、アルプスよりも南に位置するので春先や初冬に雪が少ないんです。アルプスやピレネーを走ると言えば、『エタップ・デュ・ツール』もいいですね。ツール・ド・フランス期間中に、実際のコースを走る市民イベントです。市民イベントと言っても、前のほうはレースをしていますけどね(笑)。イタリアでは『グラン・フォンド』という長距離サイクリングイベントがたくさんあります。こちらも前のほうはレースですけど」

プロのレースと同時開催の市民イベントは、自分たちが走った後、実際のレースも観戦できるので、わざわざ海外へ行く甲斐があるというものでしょう。パリ~ルーベ、ツール・デ・フランドル、アムステルゴールドレースなども、本番のレース前日に市民イベントがあります。

「『cyclosportive』で検索すると、世界中の市民イベントが出てきますが、自分でエントリーして、現地で宿やレンタカーを手配して…となると、結構大変です。最近は、日本からも参戦ツアーが出ているので、それを頼るのがいいでしょう。ハワイのセンチュリーライドなんかは複数のツアーが出ていて、おなじみですね。いずれにしても、海外のイベントに出るときは『自己完結』を求められます。事故をしても自分のせいだし、途中でパンクなどのトラブルがあったら、自分で対処しなければならないと思ってください」

浅田さんインタビューの様子

飛行機輪行は手荒く扱われると思っておいて

日本から海外のレースに行くときは、いくら選手といえども私たち一般人と同じで、自転車を輪行し、飛行機に積まなければなりません。大切な自転車をコンテナに預けるのは大丈夫なのでしょうか?

「海外では、基本的に手荒く扱われると思って輪行をした方がいいですね。自転車は2m上から落とされ、さらにその上から、重たいスーツケースが落ちてくると思ってください。ハンドルとリアディレーラーを外し、リアディレーラーはチェーンステイの間に挟むようにしてくくりつけます。そうすれば何か当たってもチェーンステイに当たるのでリアディレーラーは保護できます。あと、エンド金具はスペアを持って行きます。すぐ曲がる箇所ですからね」

苦労して海外に着いて、輪行を解いたら「エンド金具が曲がって乗れません」ということでは、泣くに泣けません。クイックシャフトのナットを忘れただけでも走れないので、トラブルや忘れ物には注意が必要です。

「輪行はウレタンが入った布製の『OS500(オーストリッチ)』か、自転車が入っていた段ボールの箱、もしくはプラスチック段ボールの『バイクポーター(ACOR)』を使っています。カーボンバイクの方は、箱のタイプにしたほうが無難かもしれませんね。輸送中に割れる危険性もありますので。あとは、袋にしても箱にしても、重量を気にしたほうがいいですね。20kgまでOKだからと言って、あれこれ輪行袋に入れがちですが、軽くしておいたほうがコンテナの上のほうに積んでもらえるかもしれませんし、扱いが丁寧だと思います」

特に夏休みの時期は、空港も人手が足りないのか、特に扱いが雑になるそうです。輪行の際は、ぶつけられたときに大丈夫かどうか、いろいろな方向から確認をし、振動によって傷つくところ、外れるところはないかなど、出発前にチェックしておきましょう。

海外レースの様子海外レースの様子

海外を走るなら「交差点で車はどっちから来ますか?」を頭に

「子供じみた話かもしれませんが…」と、浅田さんが話を続けます。

「選手を海外へ連れて行くときも、まず『交差点で車はどっちから来ますか?』と聞くようにしています。これが案外重要なんです。車が右側通行をする国では、交差点で車は、まず左から来ます。だから、交差点に差し掛かると、まず左を見なければならないのです。日本では子供の頃から、『右見て、左見て、もう一度右を見て…』と教えられていて、知らず知らずの内に身についています。想像してください。海外では、右を見て、『良し、車は来てない』と思って一歩前に出たら、左から車が来ているんですよ」

車が右側通行なら、自転車も右側通行。ここにも盲点があると言います。

「中央分離帯があるような広い道は大丈夫なのですが、車1台しか走れないような狭い道は、ついつい左側を走りがちです。特に狭い峠の下りは注意です。コーナー、コーナーでインをついている内に、いつの間にか左を走っていて、コーナーを抜けたら車と正面衝突ということがあります」

いずれにしても、自転車は車両なので、車と同じ交通ルールを守り、道の上では車と共存していかなければなりません。

「そのためにも、手信号はしっかり。ヨーロッパの人はしっかり手信号を出します。手信号の方法は日本と同じですが、右に曲がるときは右手を出し、左に曲がるときは左手を出しても構いません。手を出したとき、車や物に当たらないよう注意しなければなりませんが、ドライバーにわかるようにはっきり出すこと。ドライバーにアイコンタクトを送りながら出すのも確実な方法です」

もともとヨーロッパで発展を遂げた自転車文化。選手も一般サイクリストも先達をお手本にし、謙虚に学びつつも、日本独自の自転車文化を目指していきたいものです。

「それが日本人にはできると思います。そして僕は、日本人チームでツール・ド・フランスに行く夢を諦めません。ぜひ応援してください」

Information

浅田 顕 氏

1967年東京都生まれ。高校卒業後、1986年にブリヂストンサイクルへ入社。名門チームの選手として走るものの、本場フランスでのレースを諦めきれず渡仏。1990年に日本初のプロチームJPP(ジャパン・プロロード・プロジェクト)に加入、同年宇都宮で開催された世界選手権に出場する。1992年にフランスのプロチーム「ユーロテル」に加入し、その後1995年まで世界のロードレースシーンで戦い、1996年引退。ブリヂストンのチーム監督を務めたのち、2006年に日本初の独立プロチーム「チーム・バン・サイクリング」を立ち上げ、日本人によるツール・ド・フランス出場を目指す。現在はエキップアサダの運営会社シクリズムジャポンの代表取締役、またEQA U23、EQADS(エカーズ)の監督、日本代表チームコーチも務め、引き続きチームのツール出場を目指している。選手時代の主な戦歴は1990年全日本プロロードレース優勝、1994年パリ~ツール完走など。

イベントレポート「フランス仕込みの自転車Samurai浅田顕の海外サイクリング指南

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